金史卷六十五 列傳第三 崇成
謹厳な宿衛の武将
- 崇成は本名を布呼といい、泰州司属司の人で昭祖の玄孫にあたる。大定18年(1178)奉職に収充され、東宮入殿実達爾に改められて護衛に転じた。25年、章宗が原王であった時にその府の祗候郎君を務め、翌年章宗が皇太孫となると再び護衛となった。章宗即位後は河間府判官に任じられ、憂により去職したが起復して宿直将軍となり、累進して武衛軍都指揮使に至った。泰和3年(1203)卒し、賻贈が加えられた。崇成は謹厳で節を守り、宿衛を20余年務めて過失がなかったため久しく側近く仕えたという。
景祖の子女
- 景祖の昭肅皇后は韓国公和卓を生み、次いで世祖、次いで鄭国公噶順、次いで粛宗、次いで穆宗を生んだ。次室の綽斯和(契丹人)は代国公赫色本を生み、次室の温特赫氏(名は都)は虞国公満丕・隋国公鄂蘭哈瑪爾・鄭国公們圖琿を生んだ。和卓・鄂蘭哈瑪爾には別に伝がある。