金史卷六十四 列傳第二 世宗元妃張氏

世宗元妃張氏

  • 父は玄徴、母は高氏、世宗の母貞懿皇后と葭莩の親(縁遠い姻戚)であった。世宗は次室として娶り趙王永中を生んで張氏は卒した。大定2年に宸妃に追封され、この歳10月に恵妃に追進、19年に元妃に追進された。大定25年、皇太子が薨じ、永中が行次(序列)で最も長かったが、世宗は図克坦克寧と議して章宗を太孫に立てた。世宗はかつて「克寧は永中と親戚であるのに太孫を立てることを建議した、真の社稷の臣である」と言った。尚書右丞の汝弼は玄徴の子で永中の母の舅であり、汝弼の妻高托噶はしばしば邪言で永中を惑わし、元妃の像を画いて朝夕これに事え福を徼(もと)め、左道を挟んでいた。明昌2年、高托噶が誅死し、その事は汝弼及び永中に連座した。汝弼は死後にことが発覚し官爵を追削されるには至らなかったが、章宗は心中永中を疑い数年決着がつかなかった。諫官の賈守謙・路鐸が上疏して上意を寛解させようとしたが、章宗はいよいよ悦ばず、平章政事完顔守貞は共事を持し決着させることを肯んじなかった。章宗は怒って守貞を罷免し済南府知事とし、諸諫官もみな外に斥けられ、永中には死を賜った。金代の外戚の禍は張氏がその代表であった。