金史卷四十 志二十一 樂下 宗廟樂歌曲・殿庭樂歌・鼓吹導引・采茨曲

禘祫親饗の樂歌

  • 皇帝入門・升殿・盥洗・降階にはそれぞれ無射宮・夾鐘宮の昌寧之曲、迎神には来寧之曲(黄鐘・大呂・太簇・応鐘の各宮)、司徒引俎には豊寧之曲が奏され、始祖の酌献には無射宮「大元之曲」、以下、徳皇帝「大熙」、安皇帝「大安」、獻祖「大昭」、昭祖「大成」、景祖「大昌」、世祖「大武」、粛宗「大明」、穆宗「大章」、康宗「大康」、太祖「大定」、太宗「大惠」、熙宗「大同」、睿宗「大和」、世宗「大鈞」、顯宗「大寧」、章宗「大隆」、宣宗「大慶」と各室固有の曲名で酌献の楽が奏され、いずれも先祖の功徳を讃え国家の永続と福祐を祈る内容であった。文舞退武舞進には肅寧之曲、亜終献にも肅寧之曲、飲福には夾鐘宮福寧之曲、徹豆には夾鐘宮豊寧之曲、送神には黄鐘宮来寧之曲が奏された。

郊祀前朝享太廟の樂歌

  • 皇帝入門・升殿・迎神・盥洗・升階・司徒捧俎の各段に昌寧・来寧・豊寧の曲が配され、始祖以下各室の酌献にも禘祫親饗と同様に固有の曲名(大元・大昭・大成・大昌・大武・大明・大章・大康・大定・大惠・大和)が用いられた。文舞退武舞進・亜終献には肅寧之曲、飲福には夾鐘福寧之曲、徹豆には夾鐘豊寧之曲、送神には黄鐘来寧之曲が奏された。
  • 昭德皇后別廟の郊祀前薦享登歌では、盥洗に夷則宮肅寧之曲、升降殿に仲呂宮嘉寧之曲、奉俎に夷則宮豊寧之曲、酌献に夷則宮「儀坤之曲」、徹豆に仲呂宮豊寧之曲が用いられ、坤徳の柔順と祭祀の誠を詠う内容であった。

祫禘・時享(有司攝事)の樂歌

  • 有司が攝事する祫禘では初献盥洗に無射宮肅寧之曲、升殿に夾鐘宮嘉寧之曲(以下は親祀に同じ)が用いられた。時享攝事でも同様に無射宮肅寧之曲・夾鐘宮嘉寧之曲(宮縣は用いない)が奏された。昭德皇后時享の登歌では盥洗・升殿・司徒奉俎・酌献・亜終献・徹豆にそれぞれ肅寧・嘉寧・豊寧・儀坤の各曲が配された。
  • 宣孝太子別廟の登歌では升殿に夾鐘宮「承安之曲」、酌献に無射宮「和寧之曲」、亜終献にも和寧之曲、徹豆に夾鐘宮「和安之曲」が用いられ、いずれも先祖への孝敬と祭祀の誠を詠う内容であった。

冊寶奉上時の樂歌

  • 大定三年(1163年)十月、睿宗に冊宝を追上した際は応鐘宮「顯寧之曲」を、大定十九年(1179年)の熙宗升祔冊宝では固有の曲を、上冊寶時の宮縣には「靜寧之曲」を、皇帝降殿には「鴻寧之曲」を用い、いずれも先帝の功徳を称え永続を祈る歌辞であった。

殿庭樂歌

  • 大定七年(1167年)正月の上冊宝では、皇帝の升座・降座に太簇宮「泰寧之曲」、冊宝入門に「天保報上之曲」、奉冊宝官の復班に「歸美揚功之曲」、冊宝の初行と皇太子の升殿・降階に「和寧之曲」、皇太子升殿賀に「同心戴聖之曲」、上壽・挙酒に「萬壽無疆之曲」、進第一爵の登歌に「王道明昌之曲」、羣官への行酒・設食には文舞「功成治定之舞」・武舞「四海會同之舞」、進第二爵に「天子萬年之曲」、進第三爵に「嘉禾之曲」が配され、いずれも太平と皇帝の長寿を寿ぐ内容であった。
  • 大定十一年(1171年)十一月の冊礼、大定十八年(1178年)十二月の受命宝奉上、天德二年(1150年)十月の中宮冊立、天德四年(1152年)二月の皇太子冊立、大定八年(1168年)正月の皇太子冊立、大定二年及び二十七年(1187年)三月の皇太孫冊立でも、それぞれ升座・冊宝入門・羣臣合班・皇太子(皇太孫)升殿賀・挙酒・進爵の各段に応じた固有の楽曲(泰寧・天保報上・歸美揚功・同心戴聖・萬壽無疆・王道昌明・天子萬年・嘉禾・乾寧・昌寧・元寧・洪寧・順寧・保寜等)が用いられ、いずれも慶事を寿ぎ国家の永続を祈る趣旨であった。

鼓吹導引曲・采茨曲

  • 天眷三年(1140年)九月、熙宗が燕京に幸した際の導引曲(無射宮)は五年に一度の巡狩で民の艱難を問い豊作を見る喜びを詠んだ。天德二年(1150年)三月の祫享回鑾の導引曲、貞元元年(1153年)三月の中都行幸の導引曲(姑洗宮)と「采茨曲」は、いずれも新都の繁栄と太平を讃える内容であった。貞元三年(1155年)十一月の祫享回鑾采茨曲、正隆六年(1161年)六月の南京行幸の導引曲・采茨曲(林鐘宮)、大定三年(1163年)十月の祫享回鑾采茨・導引曲(応鐘宮、以後の親祀ではこの二曲を用いた)、大定二十七年(1187年)三月の皇太孫受冊謝廟の導引曲も、それぞれ慶事や行幸の喜びと皇統の永続を詠う内容であった。