間書明太祖、老門番を用いて陳友諒を欺く
要約
- 陳友諒が太平を陥落させると、張士誠と結んで建康を攻めようとした。太祖(朱元璋)は、二賊が結託すれば禍が深いと見て、康茂才に友諒を誘い出せるか問うた。茂才は、かつて友諒に仕えた老門番を使者に立てることを申し出た。
- 老門番は友諒に内応の約束をする手紙を届けた。友諒はこれを信じて喜び、康茂才の守る江東橋が木橋であることを聞き出し、到着したら「老康」と呼ぶことを合図に決めた。
- 太祖はこれを知ると、木橋をひそかに鉄石造りの橋に一夜で架け替え、馮勝・常遇春・徐達・楊璟・張徳勝ら諸将を要所に伏せさせ、盧龍山に大軍を集めて赤旗・黄旗を合図とする伏兵の計を仕込んだ。
- 友諒は大勝港で楊璟の軍に阻まれて江東橋に向かったが、橋が鉄石造りであるのを見て怪しみ、「老康」と呼んでも応える者がなく、初めて欺かれたことに気づいた。友諒軍は龍江へ転じて上陸したが、太祖は酷暑の中で必ず雨が来ると見越して待ち、大雨のあと赤旗・黄旗を掲げて伏兵を一斉に起こさせ、徐達の軍・水軍とも合流して内外から挟み撃ちにし、友諒軍を大破した。
現代語訳全文
『智嚢補』にいう。陳友諒がすでに太平を陥落させると、人を遣わして張士誠と共に建康を侵攻しようと約束した。太祖(朱元璋)は康茂才を召して言った。「二人の賊が結託すれば、その禍は必ず深いものとなろう。もし先に友諒を攻めれば、東の賊(張士誠)は肝を潰すであろう。お前は友諒を誘い出して速やかに来させることができるか。」茂才は言った。「私の家に年老いた門番がおり、以前友諒に仕えたことがあります。彼を遣わせば友諒は必ず信じましょう。」そこで門番に手紙を持たせ、小舟に乗せて偽の漢軍(友諒の軍)の中へまっすぐ向かわせ、内応することを約束させた。友諒は果たしてこれを信じ、大いに喜んだ。友諒は問うた。「康公は今どこにいるか。」門番は答えた。「江東橋を守っております。」友諒はまた問うた。「橋はどのようなものか。」答えて言った。「木の橋です。」友諒は金を賜って門番を帰した。そして言い含めた。「私が到着したら、『老康(康殿)』と呼ぶのを合図とせよ。」門番は戻ってこのことを報告した。太祖は言った。「これで友諒は我が術中に落ちた。」そこで人を遣わして木橋を撤去させ、鉄と石で作った橋に取り替えさせ、一夜のうちに完成させた。馮勝・常遇春は三万人を率いて石灰山の側に伏せさせた。徐達らの軍は南門の外に陣を敷いた。楊璟は大勝港に兵を駐めた。張徳勝・朱虎は水軍を率いて龍江関の外に出した。太祖は大軍を盧龍山に集めた。旗手に命じて、黄色の旗を山の右側に伏せさせ、赤い旗を山の左側に伏せさせた。そして命じて言った。「賊が来たら赤旗を掲げよ。太鼓の音が聞こえたら黄旗を掲げよ。伏兵はそこで一斉に起て。」その日、友諒は果たして軍を率いて東に下り、大勝港に至ったが、水路が狭く、楊璟の軍に出会ってすぐに大江へ退いた。そこで舟をまっすぐ江東橋に向けて進めたところ、橋がすべて鉄と石であるのを見て、驚き怪しんだ。急いで「老康」と呼んだが、応える者はなかった。ここに至ってようやくその欺きに気づいた。すぐに舟軍千余隻を分けて龍江へ向かわせ、まず一万人を先に上陸させて柵を立てさせた。その勢いは甚だ鋭かった。時はちょうど酷暑であり、太祖は必ず雨が降るであろうと見越し、諸軍にひとまず食事を取らせた。その時、空には雲一つなかったが、にわかに西北から風が起こり、大雨が到来した。赤旗が掲げられ、諸軍は競って前進し柵を引き抜いた。友諒は軍を指揮して来て争ったが、戦いが始まったところで、たまたま雨がやんだ。太祖は太鼓を打たせるよう命じ、太鼓の音が轟くと、黄旗が掲げられ、伏兵が一斉に起こった。徐達の軍もまた到着し、水軍もともに集結して、内外から挟み撃ちにしたため、友諒の軍は大敗した。