間書宋の種世衡、番将を用間す(附・王鷂の陳敬瑄を欺く)
『東軒筆録』にいう。(慶暦年間)種世衡が青澗城を守っていたとき、あるとき罪によって一人の番将を怒り、その背を杖で打った。僚属たちがこれを取りなそうとしたが、聞き入れられなかった。その番将は杖打たれたことを恨みに思って元昊のもとへ逃げ込み、元昊はこれを深く信頼した。彼は枢院に出入りすることを許され、一年余りの間に機密の事柄をことごとく知って戻ってきた。ここに至って、これが種世衡の用間であったことが知れた。これは常人を用いて生間としたものである。唐の王鷂が陳敬瑄を欺いた例も同様である。
『通鑑・唐紀』にいう。王建が成都を急襲し、城を取り巻く砦や塹壕は五十里に及んだ。犬を殺して肉を売る商人の王鷂という者がいて、わざと罪を得たと偽り、城中へ逃げ込んだ。彼は城中の人々を説き、上下の心を離反させた。王建は彼を送り込んだのである。王鷂は城中に入って陳敬瑄・田令孜に謁見すると、王建の軍は疲れ果て食糧も尽き、まもなく退却するであろうと言った。城外に出れば市で茶を売り、ひそかに役人や民に向かって王建の勇猛さと兵勢の強さを言い立てた。このため陳敬瑄らは守備を怠るようになり、人々の心は動揺し危ぶむようになった。