間書後蜀・李雄――樸泰の苦肉の内応計略
後蜀の李雄が樸泰に対して用間を行った話。
『晋書』にいう。益州牧の羅尚は、将の隗伯を遣わし、蜀の賊である李雄を郫城で攻めさせた。李雄は武都の人である樸泰を募り、これに鞭打って血が出るまで打たせた。そして羅尚を欺き、内応をするふりをさせ、火を合図とすることを約束させた。羅尚はこれを信じ、精鋭の兵をことごとく出し、隗伯らを遣わして樸泰に従わせ、李雄を攻めさせた。李雄の将である李驤は道中に伏兵を配置しておいた。樸泰は長い梯子を城に立てかけ、火を挙げた。隗伯の軍は火が上がるのを見て、争って梯子をよじ登った。樸泰はさらに縄を使って羅尚の軍百余人を引き上げ、これをことごとく斬った。李雄はそこで内外から兵を放って攻撃し、羅尚の軍を大いに破った。
按ずるに、小説『三国演義』には黄蓋が「苦肉の計」を献じたという話がある。しかし正史を考えるに、『呉志・黄蓋傳』および『周瑜傳』には、いずれもただ偽って降伏したとのみ記され、杖で打たれたことは記されていない。『晋書』の樸泰の事跡を考えると、『演義』にいう黄蓋の「苦肉の計」と同じであり、思うに『演義』を撰した者は、樸泰の事跡をそのまま黄蓋に移し替えたのではないだろうか。後に種世衡が異民族の将に対して用いた計略も、まさにこの手法を踏襲したものである。