間書張孟談の韓魏離間(再掲)と黄蓋の偽りの降伏書
戦国時代の張孟談が韓・魏に対して用間を行った話。按ずるに、張孟談が韓・魏を間したことは、『戦国策』に詳しく、すでに前に見た通りである。呉の黄蓋が魏の武帝(曹操)に対して用間を行った話。
『呉志・周瑜傳』にいう。孫権は周瑜を遣わし、劉備とともに力を合わせて曹公(曹操)を攻めさせた。赤壁を過ぎたところで、瑜の部将である黄蓋が言った、「今、敵は多く、我らは少なく、持久戦を行うのは難しい。しかし操の軍を見るに、まさに船を連ねて艦を並べ、首尾が相接しています。火をかけて敗走させることができましょう」。そこで蒙衝や闘艦数十艘を用意し、これに薪や草を満たし、油を注ぎ込み、幕で覆い、その上に牙旗(将軍旗)を立てた。そしてあらかじめ書状を送って曹公に報告し、降伏したいと偽って欺いた。
『江表傳』にいう。黄蓋の書状にはこうあった、「蓋は孫氏より厚恩を受け、常に将帥を務めてまいりました。厚遇を受けたこと薄くはありませんが、しかし天下の大勢を顧みますに、江東六郡の山越の民をもって、中国(曹操)の百万の大軍に当たろうとしても、衆寡敵しないことは、天下の誰もが見て知るところです。東方の将吏は、愚かな者も賢い者も、みなこれが用いるに値しないことを知っております。ただ周瑜と魯肅のみが、浅はかにも頑固で、まだそのことを理解しておりません。今日、帰順いたしますのは、実際の計略でございます。瑜が統率する軍は容易に打ち破ることができましょう。交戦の日には、蓋が前部を担い、事の変化に応じて、近いうちに忠誠を尽くしましょう」。曹公はこの書状を得ると、特に使者を招いて密かに問いただし、口頭でこう告げさせた、「ただお前が偽っているのではないかと恐れるだけだ。もし真実であるならば、爵位と褒賞を授けよう。以前よりも格別に厚くするであろう」。