間書唐代、契丹が偽りの解放で麻仁節を欺いた策

『唐書』に言う、則天武后の治世中、契丹の李尽忠・孫万栄が営州を破ったとき、地下牢に漢人の捕虜数百人を閉じ込めていた。麻仁節らの諸軍が間もなく到着すると聞いて、契丹は牢の番人に命じて彼ら捕虜を欺かせて言わせた、「お前たちの家族は飢えと寒さで生き延びられそうにない。国家の軍が到着するのを待ってすぐに降伏せよ」と。ある日、諸々の囚人を引き出して粥を与えた。番人はねぎらって言った、「我らは食料が乏しいのにお前たちを養ってきた。またお前たちを閉じ込めておくのも忍びない、放って帰してやろうと思うがどうか」と。人々は皆平伏して命乞いをし、そこで解き放たれた。幽州に至って、その経緯を詳しく語った。兵士たちはこれを聞いて、争って先を競って契丹領内へ進もうとした。黄鑾峪に至ると、賊は老人を官軍の前に投げ出し、老いた牛や痩せた馬を道端に送り出した。麻仁節らは歩兵を捨てて馬に乗った者を先に進ませた。賊は伏兵を設けて軍を遮り断ち、麻仁節らを生け捕りにし、全軍は覆没した。