間書韓信の用間――酈食其を死間として用いる
『史記・淮陰侯伝』にいう。漢王は酈食其を遣わしてすでに斉を説き降伏させた。韓信は(斉への進撃を)止めようとしたが、蒯通が韓信を説いて言った。「漢は間者としての使者を遣わして斉を降したのであって、まさか将軍に(進軍を)止めよという詔があったわけではないでしょう。」韓信はその計に従って黄河を渡った。斉はすでに酈生(酈食其)の言に従っていたため、(斉は)酒盛りにふけって漢に対する守りを解いていた。韓信はこれに乗じて斉の歴下の軍を襲い、ついに臨菑に至った。斉王は酈生が自分を裏切って売ったのだと考え、これを烹殺(釜茹で)にした。斉王は高密へ走った。
按。酈生(酈食其)はすでに斉に降伏を説いていたのに、韓信はこれを死間として用いてこれを撃った。唐儉はすでに突厥を懐柔していたのに、李靖もまたこれを死間として用いてこれを撃った。その死間を用いるやり方は同じである。