間書秘密でなければ楚の太子建、厚遇しなければ蘇轍の戒め
秘密にしなければ、楚の太子建の事件が鑑(戒め)となる。
『左伝』哀公十六年にいう。楚の太子建は、華氏の乱を避けて鄭に逃れた。鄭の人は彼をたいそう厚遇した。太子建はまた晋に行き、晋の人と鄭を襲うことを謀り、そこで鄭への帰還を求めた。鄭の人は元のとおりに彼を復帰させた。晋の人は間者を子木(太子建)のもとに遣わして、決行を求め、期日を約束させた(注にいう。鄭を襲う期日の決行を求めたのである。子木とはすなわち太子建である)。子木はその私邑で暴虐であったので、邑の人がこれを訴え、鄭の人が調べたところ、晋の間者のことが露見した。そこで子木を殺した、と。
厚遇しなければ、蘇轍の言葉が戒めとなる。
蘇轍はこう言う。太祖が将を用いて国境を守らせたときは、いずれも関市の税をもって厚遇し、金帛の賜をもって豊かにした。それゆえ死力を尽くす士は、その金銭を貪り、身命を捨てて危難を冒し、敵国の深くに入り、その陰謀を刺し取って主君に効し、飲食や動静に至るまで見尽くさぬものはなかった。侵略の企てがあるごとに、必ず事前にこれを知った。それゆえ備えるべきものは少なく、兵力も分散させずに済んだ。今はそうではない。いわゆる公使銭は、多くとも数千緡(もんぜに)に過ぎない。あらゆる費用がそこから出る。監司はまたその出入りをうかがい、法をもってこれを縛る。用間に至っては、官から茶や彩帛を給すると言うだけである。百餅の茶、数束の彩帛では、人の死と引き換えにするに足りないことは明らかである。それゆえ今の間者となる者は、昔ほど頼りにならない。伝聞の言葉を聞き、疑わしい事を採るばかりで、その行動は国境を出ることもなく、聞くところも慣れた家々の話に過ぎず、敵情を得ることができない。臣が願わくは、陛下が将帥を選んで任じ、財をもって厚遇し、多く間諜の士を養わせて、耳目とすべきである。そうすれば強敵があっても、たやすくは近づけまい、と。