間書李衛公の五間と間親・間能・間助・間鄰・間左右
要約
- 『李衛公兵法』が説く五間は『孫子』と表裏をなす。邑人を用いる(郷間)、任子(人質の子弟)を用いる(内間)、敵の使者を用いる(反間)、賢能の者を選ぶ(生間)、罪過を緩めて利用する(死間)の五つである。
- 李靖はさらに、君主・親族・能臣・助力者・隣国・側近・縦横家など、あらゆる関係者を間にかける諸法を説く。著者はそれぞれに実例を挙げる。君主を間にかけた例は子貢の呉越工作、親族を間にかけた例は秦が信陵君にかけた間、能臣を間にかけた例は蘇厲が白起にかけた説得である。
- 蘇厲は周君と白起の双方に説き、白起にはこれ以上の遠征は名声を損なうおそれがあると諭し、出陣を思いとどまらせた(養由基の弓の逸話を引き合いに)。
- 助力者を間にかけた例は、張孟談が趙の危機に際して韓・魏の君主にひそかに会い、智伯を裏切って堤を決壊させるよう説いた策である。
- 隣国のよしみを間にかけた例は、張儀が楚王に商於の地六百里を約束して斉との国交を絶たせ、実際には約束を反故にして楚を秦・斉・韓の連合軍で大敗させた策である。
現代語訳全文
『李衛公兵法』が説く五間は、『孫子』と表裏をなす。第一は邑人に因ることで、すなわち郷間である。第二は任子(人質として仕える子弟)に因ることで、すなわち内間である。第三は敵の使者に因ることで、すなわち反間である。第四は賢能を選ぶことで、すなわち生間である。第五は罪過を緩めることで、すなわち死間である。
『李衛公兵法』にいう。間の道には五つある。その邑の人に因って、ひそかに様子をうかがわせ、報告させるものがある。その任子に因って、わざと虚偽を漏らして知らせるものがある。敵の使者に因って、その事を偽り作って送り返すものがある。賢能の者を審らかに選び、彼の向背や虚実をうかがわせて、戻って説かせるものがある。わざと罪過を緩めて、ひそかに我が方の偽りの情勢や見せかけの計略を漏らし、逃亡させて敵に報告させるものがある、と。
李靖はまた間について、間親・間能・間助・間鄰・間左右など諸々の間の法を説いている。
『李衛公兵法』にいう。戦いに勝利を得ることは、これはどうして天地に求めるものであろうか。人に因ってこれを成すものである。古人の用間を歴観すると、その君主を間にかける者があり、その親族を間にかける者があり、その能臣を間にかける者があり、その助けとなる者を間にかける者があり、その隣国のよしみを間にかける者があり、その左右の側近を間にかける者があり、その縦横の策を間にかける者がある、と。
按ずるに、君主を間にかけるとは、子貢が呉・越に対して行ったようなものである(前に見える)。親族を間にかけるとは、秦の間が信陵君に対して行ったようなものである(『史記』に詳しい、後に見える)。能臣を間にかけるとは、蘇厲が白起に対して行ったようなものである。
『戦国策』にいう。蘇厲が周君に言った。「韓・魏を敗り、犀武を殺し、趙を攻めて藺・離石・祁を取ったのは、いずれも白起です。それゆえ用兵にはまた天命があるのです。今、梁を攻めれば、梁は必ず破れ、梁が破れれば周は危うくなります。あなた様はこれを止めるに越したことはございません」。そして白起に言った。「楚に養由基という者がいて、弓の名手で、百発百中でした。ある人がそこを通りかかって言いました。『善く射るものだ、射を教えることができよう』。養由基は言いました。『皆が善しと言うのに、あなたは教えることができると言う。ならばあなたがなぜ私に代わって射ないのか』。その客は言いました。『百発百中とはいえ、善いところで息(や)めなければ、しばらくして気力が尽き、弓は反り、矢は曲がり、一発でも外せば、それまでの功はすべて無に帰します』。今、あなた様の功は甚だ多い。今あなた様はまた秦の兵を国境の外に出し、両周を過ぎて、韓を踏みにじって梁を攻めようとしている。一度攻めて得られなければ、それまでの功はすべて滅びます。あなた様は病と称して出陣なさらないに越したことはございません」、と。
助けとなる者を間にかけるとは、張孟談が韓・魏に対して行ったようなものである。
『戦国策』にいう。智伯と韓・魏の三国の兵が、趙の晋陽の城を攻めていた。趙王の臣張孟談はひそかに韓・魏の君に会って言った。「臣が聞くところでは、唇が亡べば歯が寒いといいます。今、智伯が二国の君を率いて趙を伐てば、趙はまさに滅びるでしょう。そうなれば、二君もその次に滅ぼされることになります」。二君は言った。「どうすればよいのか」。張孟談は言った。「謀はただ二君の口から出て、私の耳に入るだけとし、他の人には知られないようにいたしましょう」。二君はすぐに張孟談とひそかに三軍のための期日を約束し、堤を守る役人を殺して水を決壊させて智伯の軍に注ぎ、智伯を捕らえた、と。隣国を間にかけるとは、張儀が楚王に対して行ったようなものである。
『戦国策』にいう。秦は斉を伐とうとしたが、斉と楚の交わりが善かったので、恵王はこれを憂えた。張儀に言った。「どうすればよいか」。張儀は言った。「臣に試みさせてください」。そして南に行って楚王に会って言った。「斉王の罪は、我が敝邑の王に対してたいそう重うございます。敝邑はこれを伐とうと欲していますが、貴国が斉と仲良くしていらっしゃいます。それゆえ敝邑の王は命令を実行することができず、私・張儀も臣として仕えることができません。大王がもし関を閉じて斉との交わりを絶つことができれば、臣は秦王に願い出て、商於の地、方六百里を差し上げるようお願いいたします。こうすれば斉は必ず弱まり、斉が弱まれば必ず王のために使役されることになりましょう。そうすれば、これは北のかた斉を弱め、西のかた秦に恩を売り、しかも商於の地を私して利とすることになります。これは一計にして三つの利がともに至るのです」。楚王は大いに喜び、使者を遣わして斉との交わりを絶った。斉と秦の交わりはひそかに合わさった。楚の使者は地を受け取りに行った。張儀は言った。「某から某まで、幅六里です」。楚王は大いに怒って秦を伐ったが、秦は斉と結び、韓氏もこれに従ったので、楚の軍は大敗した、と。