間書名将同士の対決――秦の白起と趙の廉頗・李牧
要約
- 名将同士が対峙するとき、用間に巧みな方が勝つ。長平の戦いでは、趙の廉頗が塁を固めて戦わなかったため、秦は間者を放って「秦が恐れるのは趙括が将となることだけだ」との噂を流し、趙王はこれを信じて趙括に代えた。趙括は軍の規則を改めて秦につけ入る隙を与え、白起の奇策によって糧道を断たれ、大敗して数十万の兵が生き埋めにされた。
- 秦が趙を攻めた際も、趙王の寵臣郭開に金を与え、李牧・司馬尚が謀反しようとしていると偽らせた。趙王は李牧を更迭しようとしたが李牧が従わなかったため、ひそかに捕らえて斬った。その三か月後、秦は大いに趙を破って趙を滅ぼした。
- 著者の按:廉頗も後に同じ郭開の讒言によって用いられなくなった。趙王の使者が廉頗を見た際、廉頗は健在ぶりを示したが、郭開に賄賂を受けた使者は「食は達者だが何度も脱糞した」と偽って報告し、趙王はこれを信じて召さなかった。一人の郭開によって二人の良将が間にかけられた例であり、後世に軍を率いる者はつまらぬ者の言葉を軽々しく聞くべきでないと戒める。
現代語訳全文
昔の名将が名将と対峙するとき、用間に巧みな者が勝つ。秦の白起と趙の廉頗が対峙したとき、両者はともに名将であったが、秦が間を用いたので秦が勝った。秦の王翦と趙の李牧が対峙したときも、両者はともに名将であったが、秦がまた間を用いたので、秦がまた勝った。
『史記』廉頗伝にいう。秦と趙の軍が長平で相対した。趙は廉頗を将として遣わし、廉頗は塁壁を固めて戦わなかった。秦がたびたび挑戦しても、廉頗は応じなかった。趙王は秦の間の言葉を信じた。秦の間はこう言った。「秦がただ恐れているのは、馬服君趙奢の子趙括が将となることだけだ」。趙王はそこで趙括を将として廉頗に代えた。趙括は廉頗に代わると、すっかり軍の規則を改め、軍吏を入れ替えた。秦の将白起はこれを聞き、奇兵を放って偽って敗走させ、その糧道を断ち、その軍を二つに分断して、士卒の心を離反させた。四十余日、軍は飢え、趙括は精鋭の兵を出して自ら戦ったが、秦軍は趙括を射殺した。趙括の軍は敗れ、数十万の兵衆はついに秦に降伏し、秦はことごとくこれを生き埋めにした、と。
また言う。秦は王翦を遣わして趙を攻めさせ、趙は李牧・司馬尚を遣わしてこれを防がせた。秦は趙王の寵臣郭開に多くの金を与え、反間とした。李牧・司馬尚が謀反しようとしていると言わせた。趙王はそこで趙葱と斉将顔聚を遣わして李牧に代えた。李牧は命令を受け入れず、趙はひそかに人を遣わして李牧を捕らえさせ、これを斬った。司馬尚も廃せられた。その後三か月、王翦は急いで趙を攻撃し、大いに趙を破って趙葱を殺し、趙王遷とその将顔聚を捕虜にし、ついに趙を滅ぼした、と。
按ずるに、廉頗・李牧はともに趙の将であり、ともに秦の間にかけられた。李牧は郭開の間によって死に、廉頗も後にまた郭開の間によって廃せられた。『史記』にいう。趙王は廉頗を再び用いようと思い、使者を遣わして廉頗がなお用いられるかどうかを見させた。廉頗の仇である郭開は使者に多くの金を与え、廉頗を悪く言わせようとした。使者は廉頗に会うと、廉頗は使者のために一度の食事で一斗の米と肉十斤を食べ、鎧を着けて馬に乗り、なお使える身であることを示した。使者は戻って王に報告して言った。「廉将軍は老いてはおりますが、なお食は達者です。しかし臣と座っている間に、三度も脱糞しました」。趙王はこれを老いたと思い、ついに召さなかった、と。一人の郭開によって、二人の良将を間にかけられた。後世に三軍を率いる者は、つまらぬ者の言葉を軽々しく聞かぬようにすべきである。