間書用間を重んじた名将――李牧・信陵君・韓信・李光弼
要約
- 李牧は趙の北辺の良将として雁門で匈奴に備え、烽火を厳重に管理し間諜を多く用いた。
- 信陵君は魏王と博打をしていた際、北方から趙の賊が来るとの誤報が二度伝わったが、食客からの内報によって趙王が単に狩猟をしているだけだと事前に知り、動じなかった。著者はこれを『孫子』の「先んじて知る」を体現した例として高く評価しつつ、信陵君の著した兵法書が伝わらないことを惜しみ、また彼自身が後に秦の間にはめられて廃されたことを嘆く。
- 韓信は井陘の戦いで、広武君李左車が趙の輜重を断つ奇襲策を成安君に説いたが用いられなかったことを間諜によって確かめてから進撃し、趙軍を大破して成安君を斬り趙王歇を捕らえた。著者は、もし策が用いられていれば韓信は捕らえられ、逆に用いられずに進まなければ好機を失っており、進退の適否がひとえに間による偵察にかかっていたと指摘する。
- 李光弼は間諜によって饒陽の賊五千人が九門に至ったことを知り、旗や太鼓を収めた軽兵を率い、賊がちょうど食事をしている隙を突いて奇襲し、ほぼ全滅させた。
- 著者の按:信陵君は間によって兵を控えさせ、李光弼は間によって鋭く進んだ。いずれも先んじて虚実を知ったからこそ可能であった。
現代語訳全文
昔の名将、李牧・信陵君・韓信・李光弼といった人々も、みな用間を重んじた。
『史記』廉頗伝にいう。李牧は趙の北辺の良将である。常に代の雁門に居って匈奴に備えた。烽火を謹んで管理し、間諜を多く用いた、と。
『史記』信陵君伝にいう。魏公子信陵君が魏王と博打を打っていたところ、北の国境から烽火が挙がり、趙の賊が来て国境に入ろうとしていると伝えられた。魏王は博打をやめ、大臣を召して謀ろうとした。公子は王を止めて言った。「趙王は狩猟をしているだけで、賊ではありません」。そこでまた元のように博打を続けた。王は恐れて、心が博打にない。しばらくして、また北方から伝言が来て言った。「趙王は狩猟をしているだけで、賊ではありません」。魏王は大いに驚いて言った。「公子はどうしてそれを知ったのか」。公子は言った。「臣の食客に、趙王の内密の事を探り得る者がおります。趙王が行うことは、食客がすぐに臣に報告します。臣はこれによって知ったのです」、と。
按ずるに、用兵は己を知り彼を知ることを貴ぶ。そして彼を知ろうとすれば、必ず間を用いてこそ知ることができる。しかも知るということは、事の起こる前に知ることを貴ぶ。敵が至ろうとするときに備えをなすことができ、敵が至らないときには恐れることがない。『孫子』用間篇にいう「明君賢将が、軍を動かして人に勝ち、功を成すことが衆人にすぐれている所以は、先んじて知るからである」と。信陵君は食客を用いて間とし、趙が狩猟であって賊でないことを先んじて知ることができた。もし趙の賊が狩猟でなかったならば、信陵君もまた必ず先んじてそれを知っただろう。信陵君は用間に長じており、『孫子』の言葉と「英雄の見るところ略々同じ」である。考えるに『史記』によれば信陵君の著した書に『魏公子兵法』がある。その書は用間について言うことが必ず精緻であっただろうが、今『孫子』十三篇は伝わっているのに、『魏公子兵法』は伝わっていない。惜しいことである。しかも信陵君は間を用いることに巧みでありながら、後に魏王は秦の間にはめられ、信陵君は結局間によって廃せられた。これもまた嘆かわしいことである。
『史記』淮陰侯伝にいう。韓信の軍は東に下って井陘で趙を撃とうとした。趙王と成安君は井陘口に兵を集め、その数二十万と号した。広武君李左車は成安君に説いて言った。「韓信は遠く戦いに来ており、臣が聞くところでは、千里の彼方に食糧を輸送すれば、兵士に飢えた顔色が出るといいます。今、井陘の道は、車が並んで進むことができず、騎馬も隊列を成すことができません。その勢いからすれば、食糧は必ず後方にあるはずです。願わくは臣に奇兵三万人をお貸しください。間道からその輜重を断ち切ります。あなた様は堅く陣営を守り、戦ってはなりません。彼らは前進しても戦うことができず、退却しても帰ることができません。我が奇兵がその後方を断てば、十日もたたぬうちに、両将軍の首を陣中に届けることができましょう」。成安君はこれを聞き入れず、広武君の策は用いられなかった。韓信は人をやって間諜として様子を見させ、その策が用いられなかったことを知った。戻って報告すると、韓信は大いに喜び、あえて兵を率いてついに進軍した。趙軍を大破し、成安君を斬り、趙王歇を捕らえた、と。
按ずるに、韓信は間を使わして様子を見させ、広武君の策が用いられなかったことを知って、そこで進撃した。これは事の要となる着眼点である。もし策が用いられて進んでいたならば、韓信は捕らえられていただろう。用いられずに進まなければ、好機を失っていただろう。進退の適切さは、ひとえに間を使って一目見させたことにある。今日の軍の進退も、間を用いて視察させないでよかろうか。
『唐書』李光弼伝にいう。饒陽の賊五千人が九門に到達した。李光弼はこれを間諜によって知り、軽兵を率いて旗や太鼓を収め、賊がちょうど食事をしている頃を狙って襲い、ほとんど皆殺しにした、と。
按ずるに、信陵君は間によって兵を控えさせ、李光弼は間によって鋭く進んだ。ただ先んじて虚実を知ったからである。虚実を知ろうとすれば、まず間を用いることにある。