西夏書事卷三十九 宋寧宗(金泰和六年・蒙古太祖元年) 開禧二年(夏天慶十三年・應天元年) 1206年

安全の簒奪

  • 春正月、金へ正旦を賀う使者を送った。
  • 鎮夷郡王安全が主君純佑を廃して自立し、応天と改元した。安全は久しく国政を専らにしており、生母羅氏とともに純佑を廃した。廃立の月日については『続綱目』『宋史』『金史』の間に異同がある。

史論(論曰)

  • 三月、故主純佑が廃所で急死した。享年三十、在位十四年、改元一度、諡は昭簡皇帝、廟号は桓宗、墓号は荘陵。純佑は仁慈恭倹で在位中大過なく国を保ったが、宗室の安全に権を奪われ母の愛も失い、幽閉の末に廃所で没した。羅氏がその不徳を非難する表を後に上げたが、その真相は史書に詳らかでなく千古の疑案であると評される。

対金の封冊要請

  • 夏六月、羅氏が安全のために金へ封を請い、金は使者を遣わしてこれを詰問した。羅氏は純佑が国を嗣ぐに堪えないとして安全擁立を金に伝え封冊を求めたが、金主はその廃立の事情を問い質した。
  • 秋七月、金の使者が安全を夏国王に冊立した。羅氏が重ねて表を上げ、金主は溫迪罕思敬・黄震を遣わして安全を冊立し、安全は金使を厚く遇した。
  • 冬十二月、金へ謝封冊の使者を遣わした。