西夏書事卷三十五 宋高宗(金皇統三年) 紹興十三年(仁孝大慶四年) 1143年
天災と流民の救済
- 春正月、金の正旦を賀う使者を送った。金主は太子済安の薨去により正殿に出御せず、使者は皇極殿での遙賀にとどまり、万寿節も同様であった。
- 三月、地震があった。雷のような音が一月余り続き、官私の家屋・城壁が壊れ人畜の死者が万を数えた。
- 夏四月、夏州で地が裂け泉が湧いた。黒砂が数丈の高さに積もり、林木や民家数千戸が埋没した。御史大夫蘇執義が天の警告として奏上すると、仁孝は被災地の租税減免と家屋・城壁の修復を命じた。
- 秋七月、大飢饉となり諸州で盗が起きた。威州大斌・静州埋慶・定州竾浪・富児などの諸族が食に窮して蜂起し、州城に迫った。州将が兵を出したが鎮圧できなかった。
- 八月、賑済の法を行った。諸臣が討伐を求める中、樞密承旨蘇執礼は「これは飢えによる良民の蜂起であり、救荒こそ靖乱の道」と進言し、仁孝はこれを容れて諸州に被害の程度を調べさせ広く救済を行わせた。
- 冬十月、西平都統軍の任得敬が諸州の盗を討ち平定した。得敬は首謀者を除き余党を解散させて多くを平らげ、抵抗を続けた定州竾浪・富児の二族も夜襲して首領を誅し降伏させた。