西夏書事卷三十五 宋高宗(金皇統元年) 紹興十一年(仁孝大慶二年) 1141年
楚王への布石と対金儀礼
- 春正月、金の正旦を賀う使者を送り、あわせて尊号を上るよう請うた。群臣とともに三度上表してようやく許され、金主は二品以上の官に宴を賜り夏使も高麗使とともに列した。
- 金の万寿節を賀い、榷場の設置を請うた。金主は蘭州・保安・綏徳の三か所への設置を許した。
- 夏四月、慕洧が新泉を取り会州に進攻したが、守将朱勇に敗れた。慕洧は怒り増兵を図ったが、川陝宣撫使胡世将の書に忠義を諭され思いとどまった。
- 六月、慕洧が弟の慕𤀹と叛を謀り、誅殺された。𤀹は夏の枢密使であったが金への帰参を望み、慕洧と共謀して金に策応を求めたところ、密使が捕らえられ発覚し、統軍任得敬の上奏を受け仁孝は二人を殺しその一族を滅ぼした。
- 秋七月、金の使者が来て詰問した。仁孝が慕洧誅殺を金に報告すると、金主はその専断を咎め、仁孝は使者を送り謝罪した。
- 八月、尊号を受けた。群臣は仁孝に「制義去邪」の尊号を上った。
- 冬十二月、金の尊号受納を賀った。金主完顏亶が群臣の尊号を受け、初めて袞冕を着けた。