西夏書事卷三十五 宋高宗(金天眷三年) 紹興十年(仁孝大慶元年) 1140年
蕭合達の乱と任得敬の台頭
- 春正月、金の正旦および万寿節を賀う使者を送った。
- 二月、后の罔氏を立てた。罔氏は西夏の大族の出で聡明で書を好み漢の礼を慕った。仁孝はもとより寵愛しており、その賢さを見て皇后に立てた。
- 三月、川陝宣撫使の胡世将が使者を送り入貢を勧めたが、応じなかった。乾順が金に臣従して以来宋への貢を絶っていたため、高宗は陥没民の招撫とあわせて入貢の礼を議させたが、仁孝は応じなかった。
- 夏四月、夏州統軍の李合達が城に拠って叛いた。合達はもと遼の撻馬で成安公主に従い夏に入り、統安の役で劉法の首級を得た功で都統に進み夏州を鎮していたが、乾順の金への臣従を諫めても聞かれず、公主の死後は不満を募らせ、耶律大石との連絡を試みるも果たせず、仁孝の即位を機に叛乱を企てて州城に拠り、兵を四方に放った。
- 五月、金の使者が仁孝を夏国王に冊立した。
- 六月、合達が西平府を包囲した。合達は陰山の乙室耶剌の旧部と結んで遼の復興を図り、河東八館などの契丹諸部が呼応して数万の兵で霊州を包囲し、監軍司使の罔存礼はたびたび敗れた。
- 秋七月、合達は兵を分けて鹽州を陥落させた。契丹諸部を送って鹽州を襲わせ、半夜のうちに陥落させて塩池を得、諸州を掠めて興州に迫った。
- 八月、静州統軍の任得敬が夏州討伐の兵を請うた。合達が河南諸州に叛への同調を求めた際、任得敬は使者を厚遇し敵情を探った上で、賊は烏合の衆で契丹残党のみが頼みであり隙が生じやすいと上奏し、夏州が手薄な今こそ襲うべきと進言、仁孝はこれを許した。
- 九月、金への謝礼を送り、賻贈と冊封に謝した。
- 冬十月、任得敬が夏州を回復した。精鋭三百で夏州の烽火番を捕らえ、続いて騎兵五千で城に突入し、賊は潰走、合達の妻子を捕らえ民を安撫して州を平定した。続けて鹽州に進撃し蕭合達を撃破した。合達は夏州陥落を知り霊州の囲みを解いて救援に向かったが兵は離散し、鹽州で任得敬に迎撃され敗死した。
- 十二月、任得敬を翔慶軍都統軍とし西平公に封じた。仁孝が内職への抜擢を考えると、濮王仁忠は「河南に威を震わせた得敬から急に兵権を解けば人心が動揺する」と進言し、都統軍の任と爵位を与え厚く賞した。