西夏書事卷三十四 宋欽宗(金天會四年) 靖康元年(乾順元德八年) 1126年
熙河・鄜延方面での攻防と天徳諸城の争奪
- 春正月、金の正旦を賀う使者を送った。金主が朝賀を終えて後、各国の使者の賀を受けたという。
- 二月、杏子堡を包囲した。賀正使の帰国後、乾順は金軍の汴京包囲が急を告げるのに乗じ、延州平戎砦北の険阻な杏子堡を攻めたが、鄜延副総管劉光世の抵抗で陥落させられなかった。
- 三月、天徳・雲内・武州および河東八館の地を攻め取った。金将粘沒喝が麟・府攻略の牽制として天徳など四軍と河東八館・武州の地を夏に割譲する約を結び、乾順は兵一万を送って金肅・河清から渡河し、約束の地をすべて取った。
- 夏四月、河外の諸砦を掠め、震威城を破って知州事の朱昭を殺した。政和年間に童貫が築いた震威城は孤立した辺地にあり、乾順は金軍侵入で宋の守兵が引き上げた隙を突いて猛攻し、酋領悟児思斉に降伏を説かせたが、朱昭は妻子を自ら手にかけ井戸に沈めた上で奮戦し、矢を受けて戦死した。
- 太白が東井に入り、東扇北第一星を犯す天象があった。
- 金人が天徳諸城を襲い取ると、乾順は和を請うたが、金は使者を拘留して許さなかった。金将兀朮が数万騎で狩猟を装い諸城を奪い、金肅・河清の二軍のみが夏の手に残った。
- 金が刦掠した麟・府・豊三州の地を夏が受け取ったが、秋七月、知晋寧軍の徐徽言がこれを奪い返した。金の使者が矯詔と称して三州を夏に割譲させ夏が官を置いていたところ、晋寧軍民の懇願を受けた徽言が兵を発して奪還し、夏の守令はみな降った。
- 八月、涇原を侵したが、統制李庠に阻まれ、さらに涇原第三将曲端の反撃で退いた。
- 九月、西安州を取った。もと蘭州西北の辺境に元符年間築かれた城で、夏境に近く、乾順が襲い取った。
- 冬十月、金の天清節を賀う使者を送り、あわせて拘留された使者の返還を請うと、金主はこれを許した。
- 遼の旧将小鞠䩮が投降してきたため兵を貸し与え、麟州建寧砦を包囲させて陥落させた。小鞠䩮は党項族の出で遼の西南面招討使を務めたが、遼滅亡後に夏へ奔った。
- 十一月、懐徳軍を破った。大観年間に築かれ西安・鎮戎と連携する懐徳軍を、西安陥落後の孤立に乗じて太子某に攻めさせ、知軍事の劉銓を捕らえて処刑し、通判の杜翊世は一家もろとも自焼して死んだ。
- 十二月、蘭州を攻め、通川・円子などの諸堡に入って大いに掠奪した。天都山を失い蘭州の守りが弱まったのに乗じ、五日間攻めて二堡の人畜を奪って引き上げた。