西夏書事卷三十三 宋徽宗(遼保大五年、金天會三年。是歲、遼亡) 宣和七年(乾順元德七年) 1125年

遼の滅亡と金への服属の深化

  • 春正月、初めて金の正旦を賀った。乾順は表文で、天子の徳を称え忠誠を尽くす意を述べ、使者の武功郎没細好・副使の季膺らが表を奉じた。
  • 二月、金に使者を送り太祖の陵に弔慰し、あわせて太宗の即位を賀した。当時藩使を迎える儀礼はまだ定まっておらず、使者が到着してから一月余り経って劉筈が儀礼を定めた。
  • 秋八月、金兵が侵入してきた。遼主延禧が捕らえられ都統林牙の耶律大石が西走する中、金の諸将は乾順が大石と結んで山西諸郡を奪うつもりだと誤って伝え、兵を放って夏境を掠めた。乾順は婁室に書を送り抗議し、都統の完顔希尹が金主に報告して厳重な備えを命じさせた。
  • 九月、世子の仁愛が没した。仁愛は幼くして聡明で才芸に富み、金軍が遼を破り遼主が西走した際には慟哭して救援を請い、宜水の敗戦を嘆き、乾順の金への臣従にも涙ながらに諫めたが聞き入れられず、憂悶のうちに没した。
  • 遼の成安公主が没した。公主は遼の滅亡を悲しみ、世子の死を悼んで食を断ち世を去った。
  • 冬十月、金の天清節を賀う使者を送った。当時金は密かに二路に分かれて宋を伐つ準備をしており軍務が繁多で、夏使と宋使はともに謁見できず、館で宴を賜るだけで帰った。
  • 十二月、使者を送り正旦を賀った。乾順は欽宗の即位を聞き、表を上げて賀するとともに情勢を探らせた。