西夏書事卷三十四 宋高宗(金天會五年) 靖康二年・建炎元年(乾順正德元年) 1127年

正徳改元と金界確定

  • 春正月、金の正旦を賀う使者を送った。金主は宋帝の誓書・地図を使者に示し、使者は稽首してこれを賀した。
  • 三月、金からの割地を再び受け、改元した。乾順が天徳諸城の強奪を書で責めたのに対し、金主は麟府路から鄜延・環慶・涇原・秦鳳の各路にわたる境界線を画定し、陝西北鄙の地を天徳・雲内の代わりに分与すると定めた。群臣が上表して賀し、乾順は国中に恩赦を行い、元徳九年を正徳元年と改めた。
  • 夏五月、威戎軍を取った。将軍李遇に威戎城を攻めさせたところ、金将婆盧火が先に取っていたが、乾順が金への恩義(天徳・雲内献上の代償)を理由に交渉すると、婆盧火は兵を退かせた。
  • 秋九月、金軍に従って陝西侵入に出兵した。金帥兀朮の使者楊天吉が来て陝西侵攻への協力を求め、乾順はこれに応じ国境に軍を屯した。
  • 冬十月、金の天清節を賀う使者を送った。使者が出兵の時期を尋ねると、金主は副元帥宗弼からの命令を待つよう答えた。
  • 十一月、金人が夏国のために宋への侵地返還を求めた。宋の通問使傅旉が金の左監軍完顏希尹に会見した際、希尹は先に夏地を奪った代償として、宋の煕寧以来の侵地を夏に返すよう求める国書を託した。