西夏書事卷三十四 宋高宗(金天會六年) 建炎二年(乾順正德二年) 1128年
陝西撫諭使の来訪と定邊軍の奪取
- 春正月、金の正旦を賀う使者を送った。金主は夏の情勢を問い、使者が飢饉を告げると西辺の粟を発して市に出させた。
- 陝西撫諭使の謝亮が来て講和を議した。乾順がたびたび金軍に従って侵入したため、高宗は謝亮・何洋を遣わして講和を諭した。陝西制置使王庶は「夏の患いは小さいが金は急を要する」として先に金を討つべきと進言したが亮は聞かず、乾順は倨傲な態度で謝亮を迎えたという。
- 三月、金軍とともに鳳翔・西京を破り、檄をもって鄜延の割譲を求めた。乾順は金将婁室と合流し隴石を震撼させ、鄜延が金の版図と称して割譲を迫ったが、帥臣王庶は宋が既に金肅・河清を割譲された経緯を挙げて拒み、応戦の構えを示した。
- 秋九月、謝亮を帰し、兵をもって定辺軍を取った。乾順は謝亮を数ヶ月留め置き偽って講和を約束させて帰した後、密かに兵を送って多移嶺から定辺軍を襲い諸堡砦をすべて奪った。
- 冬十月、金の天清節を賀う使者を送った。金は徽・欽二帝を韓州に移しており、使者は君臣とともに表を上げて賀した。
- 十一月、将軍李遇を退けた。李遇は威戎攻略以来関陝の全収を望みしばしば鄜延を侵していたが、王庶がその勢いを警戒し間者を放って乾順の疑心を煽り、乾順は李遇を退けてその兵権を取り上げた。