西夏書事卷三十二 宋徽宗(遼乾統四年) 崇寧三年(乾順貞觀四年) 1104年
仁多保忠の廃絶と渭・延・慶三州侵攻
- 春二月、宋の招撫策により統軍仁多保忠が離反を疑われ牙帳に召還され、乾順はこれに憤り遼への援兵要請をちらつかせつつ渭・延・慶三州境で殺掠を行った。
石堡城・霊州川の敗戦
- 夏五月、宋が新たに築いた石堡砦を巡り兵を争わせたが、経略使陶節夫の反撃で統軍以下数百人が戦死した。
- 六月、鍾傳の将折可適が霊州川を急襲し夏軍を大敗させたため、乾順は遼へ援兵を求めた。
講和不成立と鎮戎軍侵攻
- 冬十月、宋が招致策で夏の牧民を脅したことに乾順は講和を求めたが拒まれ、怒って鎮戎軍を攻め鈐轄楊忠を殺し数万人を掠めて退いた。