西夏書事卷二十七 宋神宗(遼太康十年) 元豐七年(秉常大安十年) 1084年

蘭州攻防の継続

  • 春正月、蘭州を大挙して攻めたが糧食が尽き撤退した。十昼夜の攻城でも陥落させられず、五万近い死者を出した。
  • 二月、練家流に兵を集め葫蘆河を争った。
  • 河西の塔坦国が甘州を攻めた。これが塔坦と夏国の争いの始まりである。
  • 蘭・会二州の返還を再び求めた。涇原将姚麟が堪哥平の諸族を破った。
  • 三月、安豊砦を掠めた。
  • 夏四月、安遠砦を侵し、統軍葉悖麻らが敗死した。永楽の戦いを主導した両名の死として、その罪が厳しく評される。
  • 六月、徳順軍を侵し巡検使王友を殺した。
  • 秋九月、定西城を包囲したが撃退された。
  • 冬十月、監軍仁多㖫丁が涇原を侵したが、静辺砦への帰路で戦死した。
  • 十一月、再び静辺砦を攻め守将白玉・李貴らを殺した。
  • 十二月、西蕃兵が境内に入った。
  • 使者を遣わし入貢した。仁多㖫丁ら大酋の死を経て梁氏の意向により恭順に転じた。