西夏書事卷二十七 宋神宗(遼大安元年) 元豐八年(秉常大安十一年) 1085年
梁乙埋の死と梁乙逋の専権
- 春正月、韋州蕃官伯徳が内附した。
- 二月、梁乙埋が没し、子の乙逋が自ら国相となった。趙卨の懐柔工作により乙埋は反乱を恐れて自重していたが、この年に没した。乙逋は君命によらず専権を握った。
- 三月、梁乙逋が蘭州を侵したが、官軍が陵𠯤囉城を襲い破った。
- 宥州監軍拽厥嵬名が賀蘭原に駐兵し、趙卨と戦い捕らえられた。
- 夏四月、太原の兵が左廂に入り、聚星泊・三角川の諸砦が陥落した。
- 五月、葭蘆砦を攻め供奉官王英を殺した。
- 六月、慰問の使者を送った。神宗の崩御を受けたもの。梁乙逋は粛遠砦を侵した。
- 秋七月、鄜延に進攻したが克てなかった。銀・夏州が大旱魃・飢饉に見舞われた。
- 八月、再び鄜延を侵した。
- 三泉・荒堆の諸砦を攻めた。梁氏の病を機に撤兵した。
- 九月、山陵への進奉使を送った。
- 冬十月、国主の母梁氏が没した。晩年は孫の乾順を溺愛し、臨終に宋への恭順を秉常に説いた。
- 十一月、遼へ哀を告げた。
- 十二月、遺品の馬・白駱駝を献じた。司馬光は、この年四度の遣使が真の恭順ではなく実利を狙ったものと分析した。