西夏書事卷二十七 宋哲宗(遼大安二年) 元祐元年(秉常天安禮定元年、乾順天儀治平元年) 1086年
秉常の死と乾順の即位
- 春正月、陝西・河東両路が私市を禁じた。
- 二月、弔祭への謝礼の使者を送った。司馬光の宰相就任を聞き、秉常は辺境の慎重な対応を命じた。
- 閏二月、太白が熒惑を犯した。兵喪の兆しとされた。
- 夏四月、即位を賀う使者を送った。
- 五月、環慶路が捕虜を返還した。
- 六月、再び旧領の返還を求めた。哲宗は永楽の戦没者の返還と引き換えに一部の土地返還を検討する詔を発した。
- 秋七月、坤成節を賀った。
- 国主秉常が没した。梁氏一族の専権に苦しみ憂憤のうちに没した。享年二十六、在位二十年、改元四度。諡は康靖皇帝、廟号恵宗。子の乾順(三歳)が立った。
- 八月、「天儀治平」と改元した。梁乙逋の専権によるものであり、年を越さずに改元したことが批判される。
- 冬十月、帰漢した蕃族を殺した。
- 初めて遼へ哀を告げた。秉常の死から三か月を経ての報告であり、乙逋の怠慢として記される。
- 十一月、興竜節を賀った。
- 十二月、正旦を賀う使者を送った。進奉による交易利益が使者派遣の実利的動機であったことが指摘される。