西夏書事卷二十一 宋英宗(遼咸雍三年) 治平四年(諒祚拱化五年) 1067年
綏州の帰属と諒祚の死
- 春正月、宥州へ赴いた。二月、供備庫使高遵裕が弔問に訪れ、王盥が応対した。英宗崩御・神宗即位の詔が伝えられ、諒祚は不遜な態度を示したと記される。
- 西蕃の拽羅鉢らが降ったが、後に捕らえられ処刑された。
- 青雞川を掠め、三月、蕃酋が地を秦州に献じ南牟谷口に城を築いて防いだ。
- 閏三月、謝罪の使者を送った。
- 横山の民を興州へ移した。夏六月、蕃酋令凌が衆を率いて内附した。种諤がこれを招き入れた。
- 秋八月、和市を再開した。
- 九月、英宗の山陵への進奉使を送った。
- 冬十月、左廂監軍の嵬名山が綏州を挙げて内附した。种諤の調略により実現し、夏国は援軍を送ったが敗れた。
- 綏州の残兵を大理河で争ったが勝てなかった。
- 十一月、保安軍知軍楊定を誘い出して殺した。种諤の綏州奪取への報復であった。
- 銀州に守備の兵を送った。
- 遼へ金仏・『梵覚経』を献じた。
- 十二月、国主諒祚が没した。子の秉常が跡を継いだ。享年二十一、在位二十年、改元五度。諡は昭英皇帝、廟号毅宗。