西夏書事卷五 宋太宗(契丹統和十二年) 淳化五年 994年
綏州放棄と趙保忠の失脚
- 春正月、保吉が綏州の民を平夏へ移そうとしたところ、牙将高文岯が反撃し、綏州を放棄せざるを得なくなった。文岯はその功により綏州団練使に任じられた。
- 三月、趙保忠が野外に陣を張ったところ、保吉に襲撃されその部衆を併呑された。保吉が保忠の陣営を夜襲し、保忠は単騎で辛くも逃げ、財貨・器物は奪われた。
- 夏州将趙光嗣(保忠の牙内指揮であった李光嗣、宋に内通していた)が趙保忠を捕らえ幽閉した。保吉も再び銀州を棄てて漠中に逃げた。宋の李継隆が急襲し保忠を捕らえて京師に送った。
- 夏四月、賜っていた姓名が削られ李継遷に戻された。銀・夏の帳族はすべて宋に内附した。宰相呂蒙正の提言により夏州の民は綏・宥等州に移された。
- 五月、趙保忠が京師に至り「宥罪侯」の爵を賜った。太宗は保忠を詰問したが、なお賜姓の待遇を与えたことが批判される。
- 継遷の母罔氏は延州に留め置かれた。宰相呂端の献策により、母を殺さず延州で厚遇し継遷を招く手段とすることとした。後に罔氏は延州で病死した。
- 六月、継遷は橐駝路に屯していたが、熟蔵族の首領癿遇に撃退され平夏へ逃げ帰った。
- 秋七月、牙校を遣わし馬を貢いだ。継遷は許均との戦いに勝てず、偽って降伏を申し入れた。
- 八月、弟の廷信を入朝させた。継遷は「叛は保忠のせいだ」と弁明し赦免を願った。