十六国春秋北涼錄四 曇無䜟

出自と若年期の逸話

  • 曇無讖(無は一に摩に作る、讖は一に懴に作る)は本天竺の人。六歳で父を失い母と共に機織りを業とし、後に沙門法明の弟子となった。十歳で誦経の才を発揮し、二十歳になる頃には大小乗の経二百余万言を誦じていた。従兄が誤って王の愛象を死なせ処刑された際、讖は禁を犯してこれを葬り、王に「王は法のために誅し、私は親族のために葬った、いずれも大義に背いていない」と述べてその胆力を評価され赦された。後に王の渇きを呪で癒す奇跡を起こし、深く優遇された。

姑臧への到来

  • 王の寵愛が薄れると、讖は「大涅槃経」の前半などを携え罽賓を経て亀茲、そして姑臧に至った。経本を枕にして寝ると引きずられるという不思議な出来事が三晩続き、空中の声に導かれて高所に置くと、盗もうとする者にも動かせなくなったという逸話が伝わる。

蒙遜への出仕と涅槃経の翻訳

  • 蒙遜は讖を厚遇し訳経を請うたが、讖はまず三年をかけて華語を習得してから翻訳を始めた。沙門慧嵩・道朗の協力を得て「大集経」「大雲経」など六十余万言を訳出し、涅槃経の完本を求めて西域を再訪すること数度、玄始三年から十年にかけてついに全三十三巻の翻訳を完成させた。

予言と晩年

  • 讖はかつて疫病を予言し呪で鬼を追い払うなど神異を示し蒙遜に篤く敬われたが、承玄二年、蒙遜の子興国が乞伏暮末に捕らえられると蒙遜は仏教への信を一時失いかけ、讖の諌めでようやく思いとどまった。義和三年、讖が涅槃経の後分を求め西行を願い出ると、蒙遜はその離反を疑いひそかに刺客を放って殺させた(一に「拷問して殺した」に作る)。時に年四十九であった。