十六国春秋謝艾

要約

謝艾は燉煌の人で、張重華に仕えた主簿から抜擢された文武兼備の名将。麻秋の侵攻に際し中堅将軍として歩騎五千を率い、梟の鳴き声を吉兆と読んで大破し福禄伯に封じられた。次いで三万を率いて臨河で麻秋を迎撃した際、書生風の軽装を侮った秋の精鋭が突撃してきても慌てず胡床に腰かけて指揮を続け、伏兵かと疑わせて敵を怯ませたうえで撃破、麻秋配下の杜勲・汲魚を斬り一万三千級を俘斬する大勝を収め、福禄県侯に進封された。麻秋が十二万の兵で再侵攻すると、軍正将軍任遐が風向きを吉兆と読み、密かに敵将王擢へ贈り物をして疑心を煽る調略も用いて撃退、晋帝への上表でその功を誇った。

重華に厚遇されたが讒言により酒泉太守に左遷され、重華の病中には寵臣趙長らの専横と長寧侯祚の謀反の兆しを見抜いて上奏、重華も臨終に艾を輔政に呼び戻そうとしたが、趙長らにその令を握りつぶされた。祚が即位すると、かねての諫言を恨まれて殺された。大風や黄霧など不吉な前兆が重なっていたと伝えられ、艾を退けた重華自身も間もなく没しその子も殺される結末を迎えた。

現代語訳全文

名将謝艾の武功

  • 謝艾は燉煌の人である。重華に仕えて主簿となり、文武を兼ね資け兵略に明識であった。麻秋が涼州に侵冦したとき、艾は自ら敵を破ることを許し、中堅將軍として歩騎五千を率いさせられ秋を撃った。
  • 師を振武から引き出したとき、夜に二羽の梟が牙中で鳴いた。艾は言った、「梟は邀うことである。六博で梟を得た者は勝つ。今、梟が牙中で鳴いたのは敵に克つ兆しである」と。そこで進戦し、大いにこれを破って福禄伯に封じられた。
  • ほどなく艾は使持節・軍師將軍として歩騎三万を率いて臨河に進み麻秋を逆撃した。艾は軺車に乗り白帢を戴(一に冠に作る)き、鼓を鳴らして行った。秋は遥かにこれを見て怒って言った、「艾は年少の書生でありながら冠服がこのようであるとは、我を軽んじるものだ」と、黒矟龍驤三千人に命じて馳せてこれを撃たせた。
  • 艾の左右は大いに擾れ、左戦帥の李偉は艾に馬に乗るよう勧めたが、艾は従わず、そのまま車から下って胡床に踞し指麾処分した。秋らは伏兵が発せられたかと考え、懼れて敢えて進まなかった。またさらに将を遣わし河に縁ってその後を截らせた。
  • 秋の軍は敗走し、艾は勝ちに乗じて追撃し、また大いにこれを破って秋の将杜勲・汲魚を斬り、一万三千級を俘斬した。秋は単騎で大夏に奔った。功をもって太府左長史に遷り、福禄縣侯に進封され、食邑五千戸、帛八千匹を賜った。
  • 麻秋はまた枹罕に拠り衆十二万を有して河南に進屯し、王擢に晉興を略地させた。艾はまた持節都督征討諸軍事として歩騎二万を率いてこれを拒み、牙旗を建てて将士に盟い、西北風が吹いて旌旗が東南を指すことがあった。軍正將軍の任遐は言った、「風は号令である。今、旌旗が敵を指すのは天が賛けるものである。これを破ることは必ずできよう」と。
  • そこで密かに陽初に令して、「今、舎人の孔章を遣わして口論の要を持たせる。将軍は心腹の人を差し向け、珊瑚の鞭勒一具を持って王擢に遺わせるとよい。王擢を狐疑させれば、将軍父子の事を施すことができよう」と伝えさせた。
  • 軍が神烏に次ったとき、王擢は艾の前鋒と戦って敗れ、河南に退遁した。艾はそこで進んで秋を撃ち、秋は金城に遁れ帰った。艾はそこで表を作り晉帝に献じて、「三緯(星辰)に登り六御(天子の車馬)に地を乗じ、妖氛を靖め掃い異類を廓清す」と言った。
  • 重華は艾の枹罕の功をもって甚だこれを寵遇したが、左右はその賢を疾んで共に讒毁し、酒泉太守に出された。
  • 重華が病に臥すと、嬖臣趙長らは長寧侯祚と異姓の兄弟を結んだ。艾は上疏して権倖が事を用い公室が危うくなろうとしていることを言い、臣が入侍することを聴かれるよう乞い、かつ長寧侯祚および趙長らがまさに乱を為そうとしていることを言い、長らをことごとく逐うべきことを言った。ほどなく病が甚だしくなり、手ずから令を発して艾を徴し衛將軍・監中外諸軍事として輔政させようとしたが、長らはこれを匿して宣布しなかった。
  • 祚が僭立するに及んで追恨してこれを殺した。これより先、涼州で大風が木を抜き黄霧が塵を下し、識者はこれを人が任にあらざるの象とした。会たまたま重華が讒を信じて艾を出し、ほどなく身が死に、嗣子が殺されたのはその応であった。