羅什への師事とバラモンとの論争
- 道融、汲郡林慮の人。十二歳で出家し内外の経典をことごとく読破した。羅什が関中にいると聞き荷物を背負って師事すると、什はこれを見て非凡と評し興に「昨日融公に会ったが、実に大変聡明な釈子だ」と語った。興は融を引見し感嘆し、逍遥園に入れて翻訳の校訂に参与させ、新訳の『法華経』を講じさせた。什はこれを聞いて「仏法の興隆は融のような人物によるものだ」と嘆じた。
- まもなく獅子国(スリランカ)から一人のバラモンが訪れた。聡明で弁舌に長け博学、西方の俗書をことごとく暗誦し外道の宗としても知られていたが、什が関中にいると聞き弟子に「什の風潮が震旦(中国)だけに伝わり、我らの正しい教化が東土に及ばぬままでよいものか」と語り、自らの経典を背負って中国へ至り、僧との論争を申し出た。興はこのバラモンの立ち居振る舞いを見てかなり心を惑わされ、バラモンは興に「秦の僧と弁論の力を競わせ、優れた方にその教化を伝えさせてほしい」と願い出て、興はこれを許した。関中の沙門たちは互いに顔を見合わせるばかりで誰も対抗しようとしなかったが、什は融に「そなたが相手をせよ」と告げた。融は外道の経書をまだ読んだことがなかったため、密かに人を遣わしその読むべき書目を記録させ一読して暗誦、期日には論争に臨んだ。興も自ら公卿を集め、融とバラモンは互いに議論を交わし、融の鋭い弁舌はバラモンの及ぶところではなかった。バラモンは弁論で敗れたことを悟りつつも博学を誇ろうとしたが、融はその読んだ書目とさらに秦の経史をその三倍数え上げてみせた。什はこの勝勢に乗じて「そなたは秦にも博学の者がいると聞いたことがないのか」と嘲ると、バラモンは恥じ入り屈服し、十日ほどで立ち去ったという。