陰徳の逸話と鄴の水攻め献策
- 封衡、字は百華。中書監封裕の子。財を軽んじ施しを好んだ。十余歳の頃、荷を担いだ老人が道を歩いているのを見て家に招き入れ、父に「宣子は一飯の恩義で『春秋』に名を残しました、この老人にも宅一軒と奴僕一人を与え、天寿を全うするまで面倒を見るべきです」と語ると、裕はその志を高く評価しこれに従った。成長すると身長八尺、智略に富み垂に仕え右司馬となり安東将軍に転じた。垂が鄴を攻めた際なかなか落ちなかったが、衡は漳水を引き入れて水攻めにするよう進言、垂はこれに従い鄴城の外郭を陥落させた。
- 翟斌が功を恃んで驕り高ぶり尚書令の地位を求めた際、垂は許そうとしたが、衡は厳しい表情で「馬は千里を走れても轡を外れることはできない、飼いならされた家畜が人を御することなどできない、斌は戎狄の小人で時勢に乗じて兄弟ともに王に封じられ、これほどの幸運はなかったはず、それなのに満足を知らずさらなる要求をするとは、その精神はすでに錯乱している、一年を出ずして必ず死ぬだろう」と諫め、垂はこれに従った。果たして斌は密かに苻丕と通じたことが発覚し誅殺された。衡はその後中山尹・吏部尚書を歴任した。