十六国春秋後燕錄十 宋隠
至孝の人柄と叔父の悲劇
- 宋隠、字は処道。西河介休の人。曽祖の奭は東晋の昌黎太守、後に廆の長史となった。祖父の活は中書監、父の恭は尚書令徐州刺史。儁が鄴に遷都した際、恭は初めて広平の列人に居を構えた。隠は至孝な性格で、十三歳にして既に成人のような志を持ち、もっぱら学問に励み戦乱の中でも節操を変えなかった。垂に仕え尚書郎・太子中舎人・本州別駕を歴任。
- 隠の叔父の洽は垂の尚書を務めていたが、北魏の太祖が中山を包囲した際、洽はその配下を率いて北の囲みを専守し、魏軍に多くの死傷者を出させたため太祖の激しい怒りを買い、城が陥落すると洽は殺され、子の順・訓も共に宮刑に処された。