十六国春秋前秦錄十 魚遵

生涯

  • 魚遵、馮翊の人。洪が秦王を称すると遵を右将軍・領右長史とした。健が洪に代わって衆を統べた際、杜洪が長安に拠っていたためこれを取ろうと全軍を挙げて西進、遵を先鋒として盟津まで進んで浮橋を架けて渡り、通過した城邑はみな帰順した。健の即位後、論功により遵は太子太師とされ、まもなく左僕射・司空に遷り、桓温を防いだ功に報い太尉に進んだ。健が病に伏すと遵を太師・録尚書事として遺詔を受け輔政させた。
  • 生が大魚が蒲を食う夢を見て、また長安で「東海の大魚が龍と化し男は王に女は公になる」という童謡が流行ると、生は遵とその七子十孫を誅殺した。広寧公と追諡された。