秦の宰相としての節操
- 王墮、字は安生、京兆霸城の人。博学で雄々しい才があり天文図緯に明るかった。洪が梁犢を征した際、墮を司馬とし「讖言に『苻氏、王に応ず』とあるのは、公こそその人だ」と語ると、洪は深く賛同した。宰相となってからは己を顧みず職務に励む節操を貫き、健は常々「天下の百官がみな王令君(墮)のようであれば、陰陽もどうして調和しないことがあろうか」と嘆じ、深く敬い重んじた。
生の代の粛清
- 生の即位後、残虐無道で大臣を殺戮するようになった。墮は剛毅厳格な性格で悪を憎み直言を好んだが、右僕射董栄・侍中強国らはいずれも佞幸によって出世した者で、墮はこれを仇のように憎み、参内のたびにろくに口も利かなかった。ある人が「董尚書は当代随一の寵臣、公も少し態度を和らげて接するべきだ」と勧めると、墮は「董龍(栄の幼名)ごとき鶏か犬のような者に、なぜ国士たる私が口を利く必要があろうか」と応じた。栄はこれを聞いて恥じ恨んだ。折しも天変があり、栄は強国と共に生に「今回の天譴は重大です、貴臣をもってこれに応じるべきです」と進言すると、生は「貴臣といえば大司馬と司空くらいのものだ」と応じた。栄・国は「大司馬は国の外戚であり刑を加えるべきではありません」と述べ、王墮を殺すことにした。刑に処す際、栄は「そなたは今また董龍を鶏や犬になぞらえるのか」と嘲ったが、墮は目を怒らせてこれを叱りつけた。