十六国春秋前秦錄十 趙俱

生涯

  • 趙俱、南安羌の酋長(一云、天水の人)。洪が自ら大単于・三秦王を称し姓を苻氏と改めた際、俱を従事中郎とした。健の代に河内太守・光禄大夫に遷り、まもなく洛州刺史として宜陽に出鎮した。俱の従弟である右僕射韶・中護軍誨は生に寵愛されていたが、生の即位後、俱を尚書令に任じようとすると、俱は病と称して固辞し、韶・誨に「そなたたちは祖宗を顧みず一門を滅ぼすような事をしようとしている、毛(毛貴)・梁(梁楞)に何の罪があって誅したのか、私に何の功があって代わりに立てようというのか、そなたたちは勝手にするがよい、私は死ぬまでだ」と語り、憂いのうちに没した。