十六国春秋前燕錄九 髙詡

生涯

  • 髙詡、遼東の人。永嘉の乱を避けて隠居していたが、建武初め(317年頃)、廆が自ら鮮卑大単于を称すると杖をついて廆に会いに行き「覇王の資質は大義がなければ成らない、今晋室は衰えているが人心はなお付いている、まず使者を江東へ送り皇統への尊崇を示し、その上で大義に仗って諸部を征せば誰も従わぬ者はない」と説いた。廆はこれを善しとし郎中令に任じた。皝の即位後は玄菟太守に遷り、征虜将軍仁討伐の功で汝陰侯に封ぜられ、左長史に転じた。
  • 詡は天文に通じ、皝が常々「そなたは良い書物を持っていながら私に見せないのはなぜだ、忠義に欠けるのではないか」と言うと、詡は「君主は要を執り、臣下は職を執るもの、要を執る者は逸に、職を執る者は労するものです、后稷が種を播いても堯はこれに関わりませんでした、天文を占い夜通し観測するのはたいへんな苦労で、至尊がなさるべきことではありません」と答え、皝は黙り込んだという。皝が宇文逸豆帰討伐を謀った際、詡は「宇文は強盛で今討たねば必ず後患となる、討てば必ず勝てるが将にとっては不利になる」と進言し、出陣に際して人に「私は今回行けば戻れまい、しかし忠臣は死を避けないものだ」と語り、出発前に妻にも会わず人を遣わして家事を言い残して発ったという。果たして逸豆帰は大敗したが、詡自身も流れ矢に当たって没した。