十六国春秋前燕錄九 鮮于亮
生涯
- 鮮于亮、范陽の人。当初石虎に仕え別将として麻秋と共に段遼を迎えに行った軍が太原王恪(慕容恪)に撃破された際、馬を失い山伝いに歩いたが進めなくなり、その場に座り込んだ。恪の兵が取り囲み立つよう叱ると、亮は「私は貴人だ、道義として小人に屈するつもりはない、殺せるものなら殺すがよい、できないなら立ち去れ」と言い放った。その堂々たる容姿と気迫に燕兵も恐れて手が出せず、これを皝に報告した。皝は馬を送って迎え、語らって大いに喜び左常侍に任じ、崔毖の娘を娶らせた。のちに皝が自ら大軍を率いて高句麗を征した際、亮は「私は捕虜の身でありながら王の国士としての恩を受けた、報いずにはいられない、今日こそ死に場所だ」と述べて数十騎を率い真っ先に高句麗の陣に突入しこれを打ち破った。儁の即位後も前鋒将軍として趙攻めに従い薊城を攻略した際も陣を陥れ真っ先に登り、その武名は大いに知られた。功により揚威将軍に進み、章武・斉郡の二郡太守を歴任した。