十六国春秋後趙錄十二 解飛
精巧な仏教工芸
- 解飛、出自不明。石虎に仕えて尚方令・侍中・御史となり、その工夫の巧みさは神業のごとく、着想は奇抜であった。仏教を篤く好む虎のために様々な精巧で贅を尽くした工芸品を作らせた中、飛はかつて幅一丈余の檀車を作り、四輪の上に金の仏像を座らせ九頭の龍が水を吐いてこれに灌ぎ、木製の道人が仏の胸腹を撫で、さらに十余体の木の道人が袈裟をまとって仏の周りを巡り仏前で香をつまみ炉に投じる様まで再現し、車の動きに応じて木人も龍もすべて連動する仕組みであった。また指南車・司理車・舂車(木人が車上で碓を踏み十里で米一斛を搗く)・磨車(石臼を車上に置き十里で穀物を挽く)なども作らせ、将軍一人だけを乗せれば車の動きに応じてあらゆる仕掛けが一斉に作動したという。これらは飛と尚方令朱猛の工夫によるもので、虎はその精巧さに感じ入り飛に関内侯を授け手厚く賞した。
飛橋建造の失敗
- のちに虎は飛の献策を容れ鄴の正南で漳水に石を投げ入れて飛橋を築こうとしたが、費用は数千万億に及びながら橋は完成せず、人夫の飢えが甚だしくなり中止された。