十六国春秋後趙錄十二 劉光
生涯
- 劉光、安定の人(一云、侯子光)。二十歳前後で容姿優れ、自ら「仏太子」と称し「大秦国から来て小秦国の王となる」と唱え、姓名を李氏と改めて鄠県に遊説し、赤眉一族の家に身を寄せ妖しげな術で人々を惑わし、いくらかの霊験があるとされたため赤眉はこれを信じ、二人の娘を娶わせて煽動に加担させた。京兆の樊経・竺龍・厳謀・謝楽子らが呼応し衆数千人が杜陽山に集まり、自ら大皇帝を僭称し年号を龍興と建て、赤眉と経を左右丞相、竜諶を左右大司馬、楽子を大将軍とした。石虎の鎮西将軍石広がこれを撃って斬ったが、光の首は十余日たっても血が出ず顔色も生前と変わらなかったという。