十六国春秋後趙錄十二 張彌
生涯
- 張彌、字は巨秦、汲郡の人。永嘉年間、梁臣と共に武徳城を守っていたが、石勒の攻撃で城が陥落した際、通例なら生き埋めにされるところ「官(勒)は健児を生かすべきだ」と大声で叫んだ。勒が「どんな健児だというのか」と問うと、彌は「武徳の西城で大声で督戦し賊を入れさせなかったのはまさにこの張彌だ」と答え、勒は笑って赦し牙門将軍とした。
- 石虎の建武二年(336年)、彌は一万の兵を率いて洛陽の鐘虡・九龍・翁仲・銅駝を鄴へ移送する任にあたり、鐘の一つが黄河に沈んだ際、水に潜れる者三百人を募って河に入り竹の綱で結び、牛百頭と轆轤でこれを引き上げ、万斛の舟でこれを渡し鄴都まで運んだ。