十六国春秋後趙錄十二 徐光
才を見出されるまで
- 徐光、字は季武、頓丘の人。父の聡は牛医であった。光は幼くして文才があり、十三歳で王陽に捕らえられ馬の世話をさせられた際、柱に詩賦を書きつけて職務を怠り鞭打たれたが、終夜泣き止まず、紙筆を与えると即座に頌を作り、陽はその才に驚き石勒に推挙した。
投獄から重用へ
- 記室参軍となったが召集に応じず不興を買い牙門に降格され、のちに勒への態度を咎められ妻子と共に襄国の獄に幽閉された。獄中で経史十万余言を注解したという。劉曜が洛陽を百余日包囲して解けずにいた際、勒は光を赦して意見を求め、光は「曜の疲弊した大軍で堅城を囲むのに対し、我が精鋭で衰えを撃てば必ず勝てる」と進言、勒は昼夜兼行で洛陽に至り曜を大戦の末に捕えた。
- 中書令・秘書監に転じ、勒に石虎の威権を除いて太子を安んじるよう勧めたが聞き入れられず、勒の死後、石虎が朝政を握ると私怨により光を殺した。