十六国春秋前趙錄九 陳元達

出仕の経緯

  • 陳元達、字は長宏、後部の人(もと姓は高)。貧しい生い立ちながら学を好み、四十歳まで人と交わらなかった。劉淵が左賢王の頃の招聘には応じなかったが、淵の即位後に自ら「時機を待っていただけだ」と出仕し、高く評価された。

諫言と最期

  • 聰が後宮に䳨儀楼を造営しようとした際、腰に鎖をつないで諫め、聰は激怒したが皇后劉氏の取りなしで赦された。聰が左右貴嬪を共に皇后に立てようとした際にも強く反対した。太宰河間王劉易と親しく、易の死を深く悲しんで「もはや直言できる場もない」と自殺した。