人物と即位
- 劉和、字は玄泰。劉淵の皇后呼延氏所生で、劉聡の異母弟にあたる。学問を好み早くから才を示したが、猜疑心が強く、部下への恩情に乏しかった。
- 父・劉淵の死により即位。宗正の呼延攸(劉淵后の兄弟の子)は、無才ゆえに淵の代から昇進を止められていたことを恨んでおり、また侍中劉乗・衛尉西昌王劉鋭も楚王劉聡らへの不満を抱いていた。
兄弟粛清の企てと内乱
- 呼延攸・劉乗・劉鋭らは劉和に対し、「楚王劉聡が精兵十万を擁して近郊に駐屯しており、いずれ帝位を脅かす」と讒言し、劉聡・斉王劉裕・魯王劉隆・北海王劉乂ら兄弟の粛清を勧めた。
- 領武衛将軍安昌王劉盛は「先帝の遺骸がまだ殯宮にある今、骨肉相争えば天下の信を失う」と諫めたが容れられず、逆に斬られた。
- 劉和は諸将を四方に分けて劉聡・劉裕・劉隆・劉乂への同時攻撃を命じたが、劉乂は事前に脱出して劉聡のもとへ走り、劉聡は防備を固めていたため不意討ちは失敗。劉裕・劉隆は殺害されたものの、劉聡は反撃に転じて西明門を突破し、劉和を光極殿西室で殺害した。首謀者の劉鋭・呼延攸・劉乗も捕らえられて処刑された。
- 劉和の在位はわずかな期間に終わった。