十国春秋卷九十六 閩七 列傳 黄峻
極諌と憂死
- 黄峻は景宗に仕えて諫議大夫となった。永隆年間、宗室の多くが無実の罪で死んだ。峻は「淫らな刑罰をほしいままにしていては、亡びるのを待つばかりだ」と言い、櫬(棺)を舁いで朝堂に詣で、極めて厳しく諫めた。
- 景宗は「この老いぼれめ、狂いおったな」と言い、漳州司戸参軍に貶した。
- 峻はまた常々人に語って言った、「国事がこのようであれば、永隆の年号ではなく、恐らく大昏元年(大いに昏乱した元年、の意)と言うべきだろう」と。これによって咎められ、憂いのうちに没した。