十国春秋卷九十五 閩六 列傳 陳嶠

陳嶠

  • 陳嶠は字を延封といい、遠祖の邁は唐の初め莆田の令となり、そこに家を構えた。その後数世を経て南安尉の真がおり、真は蕘を生み、蕘は斉を生み、斉には九人の子があり、嶠はその長子である。弱冠にして文をよくし、高陽の許亀図・江夏の黄彦修とともに莆田の北巌精舎に居り、まもなくまた北平山に移り読書した。光啓三年、進士に登第し、京兆府参軍に釈褐した。
  • 太祖兄弟が閩に入ると、大従事に辟され、大理評事兼監察御史に遷り、まもなくまた大理司直兼殿中侍御史を奏授された。光化三年十月、卒した。享年七十五。著すところの表記・奏牘はあわせて三百篇。嶠は人となり謹信で、家にあっては純孝であり、継母に礼を尽くし仕え、母が死ぬと墓に廬(いおり)を結ぶこと三年、郷人はこれを称えた(黄滔の「陳司直墓誌」にいう、嶠は両度娶り、林夫人・潘夫人があり、子三人、仲田がこれを記す、と)。