十国春秋卷九十五 閩六 列傳 楊沂豐

楊沂豐

  • 楊沂豐(欧陽脩『五代史』には楊沂に作る)は、唐の宰相涉の従弟である。乱に遭って太祖に身を寄せ、徐寅・王淡とともに幕府に同居し、風雅をもって唱和し、閩の士人の多くはこれを宗とした。太祖の孫の繼業が汀州刺史であったとき、沂豊は士曹参軍となり、互いに親しく交わった。
  • 永隆の時、繼業が死を賜ると、ある者が沂豊が実にこれと共謀していたと告げた。沂豊はちょうど景宗の侍宴にあずかっていたが、景宗は左右の者に命じてこれを捕らえさせ、獄に繋いだ。翌日、市で斬られ、その家は族滅された。時に年八十余であり、国人はこれを哀れんだ。淡はもと唐の宰相溥の子である。

史論

  • 論じていう。昭武帝(太祖)が国を立てると、賓客は帰るところに帰るように集まり、唐の衣冠卿士で山を越え川を渡って逃れて来た者に、李洵・韓偓・王標・夏侯淑・王淡・楊承休・王滌・崔道融・王拯・楊賛図・王倜・楊沂豊・帰伝懿の諸人があり、たやすく数え尽くせるものではない。今、その考証できる者を概ね採って本篇に著したが、その余は具(つぶさ)には録さない。