十国春秋卷八十九 吳越十三 僧志逢

僧志逢

  • 僧志逢は余杭の人である。三学に通貫し、性相を了達した。顕徳のころ五雲山に茅を結んだ。ある日、晏坐していると忽然として神人が前にひざまずいた。志逢が「あなたは誰か」と問うと、「護戒神である」と言った。志逢はそこで「私は宿愆(前世の罪)がまだ尽きていないことを患っている。あなたはそれを知っているか」と言うと、「師にどんな罪がありましょうか。ただ鉢を洗った水を捨てたこと、それも小さな過ちに過ぎません」と言い、言い終えると隠れた。志逢はこれより器を洗った水をことごとく飲むようになり、久しく積もって脾の病となったが、十年でようやく癒えた。大将の凌超が特に華厳道場を創建し、静慮庵と名づけて、招いて主席とした。乾徳の初め、忠懿王が召して紫衣を賜り、雲棲寺を築いて住まわせた。雲棲塢にはもとより虎が多く、志逢はいつも大きな扇を携えて銭を乞い肉を買って虎に飼っていた。虎はこれに遇うとたちまち馴れ伏したので、世は伏虎禅師と称し、また大扇和尚とも号された。後に普覚と謚された。この時また僧紹巌は了空大智常照禅師と号し、僧清昱は円通妙覚禅師の号を賜り、僧支蟾は慈悟禅師の号を賜った(また報恩禅師は姓を蔣氏といい、資崇院に住むことを命じられ、盛んに玄妙正宗を講じた)。僧行明は六合寺に延び住み、僧慧居は竜華寺の主を命じられ、僧永安は報慈寺に居らせられたが、その他は詳しく述べない。