十国春秋卷八十九 吳越十三 僧希辨
僧希辨
- 僧希弁は蘇州常熟の人である(一説には忠懿王の子というが、疑わしい)。幼くして出家し本邑の僧啓祥に礼し、髪を落として戒を具え、已にして楞伽山に詣でて僧律の講義を聴き、やがて天台に謁して心印を受け、同時代の徳韶と名を斉しくした。乾徳の初め、忠懿王は東府の清泰院に住むことを命じ、慧智禅師の号を署した。太平興国の初め、王が宋に入覲するとき、希弁は宝塔に随って至り、太宗の滋福殿で謁見し、大いに慰諭を加えられ、紫衣を賜り、慧明の号を賜った。端拱年間、還ることを乞い、御製の詩および『御書急就章』『逍遥詠』『秘蔵詮』『太平聖恵方』一百三十巻を頒たれてこれを寵とした。常熟の山院に浮屠(塔)を創建し、七級、高さ二百尺であった。