余延業
- 余延業(『宋鑑』には「韓延業」に作るが、今は『東都事略』及び『宋史』に従う)は、大宝年間、内常侍となった。
- 宋軍が郴州を陥落させたとき、後主の内品(宦官)十余人を捕らえたが、延業はその一人であった。汴京に至ると、太祖は延業に「嶺南にいた時は何の官であったか」と問うた。延業は「臣は不才ながら扈駕の弓箭の職に備わっておりました」と答えた。太祖は弓矢を取って授けさせたが、延業は力を尽くして弦を引いたが開くことができなかった。
- 太祖はそこで笑いながら後主の為政の跡を問うた。延業は具に、後主が焼煑・剥剔・刀山・剣樹の刑を作り、罪ある者に象と戦わせ虎を撃たせて笑い楽しんだこと、また媚川都を置いて海に入って珠を採らせ、居所の宮殿にはそのつど明珠・玳瑁で飾らせたこと、瓊州では米は斗をもって計り税を五銭に定めたこと、邕州では民が城に入る者は銭一を輸させたこと、また内官の陳延寿は奇技淫巧を作り日に金銭巨万を費やしたこと、宮城の左右には離宮数十があり遊幸に虚しい日が無かったこと、豪民をもって課戸とし宴犒(宴会の犒い)の費用に供したことなどを語った。
- 太祖は大いに驚いて、「私はこの一方の民を救わねばなるまい」と言った。時にちょうど蜀を下すことを謀っており、いとまがなかった。しかし嶺南への出師は、延業がまことにこれを引き起こす一因となったのである。