十国春秋卷六十六 南漢九 列傳 薛崇譽

薛崇譽

  • 薛崇譽は韶州曲江の人である。孫子(兵法書)・五曹算(算術書)に長け、中宗は内門使兼太倉使に任じた。後主が位を嗣ぐと、内中尉・特進開府儀同三司・簽書点検司事に遷った。
  • 宋軍が興王府を陥落させると、崇譽は火を挙げて倉廩を焼いた。捕らえられて汴京に送られ、李托らとともに並んで斬られた。

史論

  • 論じて言う。古より人の国に禍いする者はただ宦官がもっとも甚だしい。彼らが主に結びつくのは善柔(へつらい)をもってし、その情はいつも解くことのできぬほど親密になる。彼らが人を毒するのは険鷙(陰険凶悪)をもってし、その禍は常に人が油断した所から発する。粤(南漢)・漢・及び唐は、その中でも著しい例である。
  • 劉氏は乾和以来、奄寺(宦官)は七千余人に至り、法を弄び政を専らにした者は、林延遇の陰狡にして謀を善くしたこと、龔澄樞の険詐にして国を乱したこと、許彦真の残忍にして賢を妬んだこと、陳延寿の淫巧にして主君を惑わしたこと、李托は養女を納れて国柄を操り、薛崇譽は算(数)を握って主権を窃んだ。議論は多くの門から出て、内外で朋比(結党)した。
  • 君主がすでに国を恤(いつく)しまなければ、国もまたそれに従って衰える。昔の伊戾が宋に禍いし、竪刁が斉を乱した故事も、これほどの激しさには及ばなかった。要するに、その由って来たるところは漸を積んだものである。ああ、これを知ればもって世を論ずることができよう。